無題

前編(2004-2005)

しばらくブログというものを書いていなかったが、ふと思い立って書いてみることにした。思い返してみれば、初めてブログを書いたのは15年くらい前だったか。魔法のiらんどで当時好きだったバンドの情報サイトを運営していて(当時、ロッキングオンジャパン系バンドが好きで、何か発信したい人は皆このフォーマットだったように思う。当時の唯一にして最大のSEOはランキングサイトに登録することだったが、私はひねくれていたのか、コンテンツに自信がなかったのか、参加していなかったので人はほとんど来なかったが。)、周りの人たちがブログのリンクをサイトに貼っているいることに気づき、その当時一番いけていたと思われるlivedoorブログを作った。その当時はlivedoorブログ、exciteブログ、jugemブログ辺りをみんな使っていたように思う。

文章を書くのは苦手だったので、バンドのリリース情報とかライブの予定とかをひたすら貼りまくっていた。繋がりというものはあまりなく、自分が楽しければよかった。しばらくして、その界隈での魔法のiらんどカルチャーが廃れ、コミュニケーションの中心がブログのトラックバック・コメント欄に移るにつれ、徐々に東京を中心としたインディーズ界隈の人たちが書いているブログと緩くつながるようになった。その界隈の人達が発信するライブや音源の感想は、ロッキングオンジャパンキッズ歴すらもあまり長くなく、1,2年前までサザンばかり聞いていた私にとって、よくわからないが物凄く魅力的であり、バンド名を調べてはバンドのホームページをブックマークしていた。今となっては本当に理解できないが、Firefoxに保存されたマイナーバンドのブックマークが増えていくのは不思議な快感、達成感があった。そういえば、audioleafMySpace、Indiesmusic.comなどでの視聴を覚えたのもこの頃だった。


あと、自分が聞いている曲を他人と共有するという革命的な行為が発明されたのもこの頃だった。「音ログ」という個人の方が作ったサービスが流行っていて、ブロガーは皆、音ログブログパーツをサイドバーに埋め込んでいた。ただその後、Last.fmmixi musicといろいろと似たサービスが出てきたのもあって、「音ログ」は短命だった。流行っていたのは実質1年位だったと記憶している。そういえば今は、聞いている音楽を他人と共有するサービスはさっぱり無くなってしまったなあ。「再生回数」という尺度自体は時代錯誤になってしまったけれど、リアルタイムにしろ、サマリ的な形にしろ、「自分は今これにハマっている」を共有する需要はあると思うのだけど。Last.fmは海外ではまだアクティブユーザー残っているんだろうか。

 

ブログでのコミュニケーションが活発化するのに合わせて、自分の行くライブの本数も異常なくらい増えた。ERA、nest、Motion、Warp、SHELTER、LOOK、LUSH、RIPS、LOFT、Que、eM Seven...。客もほとんどいない平日のブッキングにも行っていた。月20本とか。ブログでコミュニケーションするためにライブに行っていたといっても過言ではないけど、現場に通えば通うほど新しい音楽に出会えるのはそれ以上に刺激的だった。2006~2008年の時期のERAで組まれるライブは本当に良いバンドばかり出ていたと思うし、当時の演者の多くは、今も何かしらの形でシーンに影響を与えている人たちが多い。会場で1枚500円のDemo CD-Rを買い漁ってブログに感想を書いた。ただライブハウスではいつも一人だった。

 

 

中編(2006-2007)

同時にこの時期はmixiの流行がピークを迎えていたころだった。招待してくれと言えない小心者の私は、心優しい知り合いに招待してもらうまで指をくわえて見ていたので、始めるのは遅い方だったように思う。IT業界の栄枯盛衰は本当に激しいことを実感するが、当時は音楽界隈の繋がりだけでなく、バイト先の人たち、クラスメイト、、とにかく皆日記を書き、皆コメントを付けあっていた。ただ、思い返してみればブログでつながった音楽界隈の繋がりはmixiで大きく広がることはなかったように思う。コミュニティもいろいろ覗いていたけれど、何か自分から交流を求めたことはなかった。その要因は、mixiの特性というよりも、知人コミュニティの閉鎖性それそのもの、ということなのだろうと思う。自分も含め、ブログを通じて知り合った人たちは皆、ライブの感想や、音源のレビューはブログに、それ以外のふわっとした内容はmixiに書くという流れができていたように思う。

ライブハウスに入り浸る生活というのは非常に金がかかる。私は高専に通いながら、深夜3時まで営業している飲食店で猛烈にアルバイトをし、その足で始発に乗り直接学校へ行き、ある時は部室、ある時は研究室に転がり込んで昼過ぎまで睡眠をとり、そして夜まで研究をするという生活を送っていた。

思い返してみれば、この時期はライブにしても音源にしても、本当に印象深い出会いばかりだった。特に、山形ハードコアシーンの勃興とその象徴的な出来事であるdo it 2008の、言わば夜明け前的な出来事だった2006年と翌2007年のdo itは、小さなライブハウスで何かすごいことが起こっているという興奮と、後にこのシーンを語る上で避けて通れないと確信できる出来事の中心に、今自分がいるというもう一つの興奮がごちゃ混ぜになって、当時の自分にものすごい刺激を与える体験になった。

 

 

中編2(2008~2009)

2007年の終わりにはインディー音楽界隈でのブログ文化コミュニティは緩やかに終焉を迎え、文章を書くという人は極端に少なくなった。大学編入を境に実家を出て一人暮らしを始めた私は、極端に減った可処分所得を使い細々とライブに行き、音源を買う生活を続けていた。平日にライブに行くことはなくなり、週末にレコードショップとライブハウスとラーメン屋をはしごするのがとても愛おしい時間だったのを覚えている。

この2年間はmixiの流行がピークを越え、つるべ落としの様に人が離れていった時期でもある。そしてみんなTwitterを始めた。私も例に漏れず、大学までの電車の中でガラケーのMobile twitterの更新ボタンを取りつかれたように連打する生活を送っていた。

引っ込み思案な人間でも、特定のコミュニティで活動し続けていると、ふとしたタイミング人間関係が急に開けたりするものである。私も、とあるきっかけでmixiで止まっていた音楽コミュニティから、twitter界隈の人とのリアルな交流が増えた。好きなバンドの話や、昔行ったライブについて他愛のない話ができるというのが、どれほど楽しいことなのかということを思い知った。twitterで知り合った人たちは同世代が多く、なぜ今まで出会わなかったのか不思議で仕方がなかった。皆でライブを見て、皆で転換中にべらべら喋った。皆で終演後にご飯を食べに行った。皆と別れた電車の中ではtwitterでライブの感想を言い合った。2年前の取り憑かれたような怒涛の日々の先にあったカタルシスの抜け殻になっていた自分にとって、救われるような日々だった。